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AKB48からJKT48に移籍した仲川遥香が凄い [AKB48]

仲川遥香さんが、5ヶ月でインドネシア語をマスターしたって?

仲川遥香さんは、自らJKT移籍を願い出たそうです。
AKB48では、そこそこの位置にいたと思うのですが。
仲川遥香さんは、ジャカルタに、何を感じたのでしょうか。

インドネシア後は、インドネシアに行く前に、勉強していたようです。
でも、そんなに時間はなかったと思うので、
基礎部分がやっとだったと思います。

やはり、仲川遥香さんの明るさが関係しているのでしょう。
JKT48が出来て1年がたっていました。
その中に、仲川遥香さんは入って行きました。



歓迎されたのか、そうではなかったのか。
結果を見ると、歓迎されたと思うのですが、
大変だったと思います。

生活習慣が違うところに来たので、
最初の頃は、よくお腹をこわしたと言っていました。

JKT48に溶け込み、自然に話しが出来たそうです。

語学を習得する上で、仲川遥香さんは、
とても参考になると思います。
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「深夜特急」という小説があります。
著者が、乗り合いバスを乗り継ぎ、アジアを横断して、
ロンドンまでいった話しです。

その中に、中国で出会った日本人がいます。
工場の女工の指導をする立場の人です。

彼女達の話しを聴いているうちに、話せるようになったと言います。

仲川遥香さんは、JKT48の選抜総合選挙で3位になりました。
JKT48版「恋するフォーチュンクッキー」では、
センターを勤めています。

そして、何より驚くのは、
JKT48は、インドネシアでは、トップアイドルになっていることです。

インドネシアの人口は、約2.5億。
日本の倍です。
日本の、AKB48よりも影響力があるのではないでしょうか。

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JKT48 インドネシアで大人気 その中に、日本人の仲川遥香さんが堂々3位 [AKB48]

アナザースカイをYouTubeで見ました。
感激しました。
JKT48に移籍したメンバーが、日本に帰って来る中、
JKT48に骨を埋める覚悟の日本人アイドルがいました。
仲川遥香さん。

インドネシア語も流暢に話し、
すっかりインドネシアに染まっていました。



AKB48には15歳の時に参加しました。
同期に、渡辺麻友さんがいます。
仲川さんは、ずっと端っこにいました。
JKT48が出来た頃、AKB48でインドネシアに行く機会があり、
その時に、何かを感じたのでしょう。

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自ら直訴して、JKT48に移籍したそうです。
始めは、言葉も分からない、お腹は壊す。
テング熱にはかかるで、大変だったようです。

何が、仲川遥香さんを動かしたのでしょうか。

インドネシアが、自分に一番合っていると言います。

テレビの打ち合わせ風景は、とっても面白いです。
ねっころがっていたり、眠っていたり。
そんな、気楽な雰囲気がよいのかもしれません。
日本と全然違います。

JKT48は、どこか、遠くの国の出来事と思っていましたが、
仲川遥香さんを通して、とても親しい感じがして来ました。

ずっと昔、日本が戦争で負けた時、
インドネシアにいた日本軍の沢山の軍人が、
インドネシア独立戦争に参加しました。

彼らは、戦後、功績を讃えられ叙勲されています。
最後の残留日本兵の小野盛さんは、2014年8月に亡くなりました。
カリバタ英雄墓地に埋葬されました。

時代は移り変わっています。


タグ:AKB48 JKT48
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AKB48の永尾まりやさん 可愛らしいお嬢さんが散弾銃をぶっ放すまで [AKB48]

AKB48の永尾まりやさん 可愛らしいお嬢さんが散弾銃をぶっ放すまで

はじめは、ビームライフルでした。
器械体操の経験のある永尾まりやさんは、
重心が安定していました。

総合で良い成績を修め、クレー射撃に臨みました。
と言っても、日本は世界で一番銃の所持が厳しい国です。
クレー射撃をするには、銃の所持の資格が必要です。

そして、永尾まりやさんは、
半年を費やして、銃の所持に漕ぎ着けます。

AKB48の中の永尾まりやさんは中堅です。
15歳で入って5年がたちました。
まだ、大きな飛躍はありません。
モデルの仕事に入れても、すぐに他の人に代わられて、
自室で悔し涙を流したそうです。

自慢できる特技がなくて、何か持ちたいと思っていました。

初心者講習で行われた試験。
見事落ちました。
仕事が忙しかったとちょっと言い訳も、すぐに打ち消し、
努力が足りなかったと認めました。

そして、二ヵ月後、家族の協力もあって、初心者講習の試験に合格します。

実技講習は見事でした。
25発打って、2発クレーに当たればよいところを、
16発も当たりました。

1回だけ、銃の扱いにミスがあり、マイナス10点がつきましたが、
見事、90点で合格しました。

銃は3kgの重さがあります。
その為に、毎日3kgのダンベルを50回行い、
腕力を付けました。

永尾まりやさんは、射撃界のアイドルになりました。
本屋に行ったら、雑誌に注意しましょう。

銃系の雑誌の表紙を飾っていることがあるかもしれません。

http://youtu.be/9g1KiqGjBhI

この映像をみて、永尾まりやさんのファンになりました。

タグ:クレー射撃
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仲俣汐里 AKBを卒業 [AKB48]

仲俣汐里 AKBを卒業

早稲田大学政経学部経済学科在籍。

経済評論家の菅下清広氏からレッスンを受け、
その感想を項目別に記す形式で本を作った。

「実際に本になると、すごく読みやすいし、
私のイラストもいっぱい使われてて、うれしいです。
本の中では「景気、デフレ、GDP、株価、金利、為替、BRICs」について、
分かりやすく紹介してます。メンバーは「経済とか難しそう…」って、
まゆをひそめてるんですが、
これなら絶対におもしろがって読んでもらえるはずです」

経済女子。

AKBには、圏外の子の中にも、
とても魅力的な子がいる。

層が厚いから、とも思うが、
メディアに出てくる人は、いつも同じ顔ぶれ。

あきらめて、抜ける子もいるだろうが、
別の道に進む子にエールを送りたい。

2020年に東京オリンピックの開催が決まったが、
日本には問題が山積み。

沢山の力が必要だ。

仲俣汐里さんは、何年か後に、
ニュースキャスターとして、
または、経済評論家として、
または、コメンテーターとして、
テレビに出演しているような気がする。

移り変わる日本社会。
その時、
仲俣汐里さんの目には、何が写っているのだろうか。


■仲俣汐里(なかまた・しおり)略歴
1992年(平4)7月25日、スイス生まれ。
愛称「なかまったー」。
10年、10期オーディションに合格。
11年、チーム4に昇格。
好きな四字熟語は「不言実行」。
血液型A。


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光宗薫 モデル 画家 [AKB48]

元研究生、光宗薫。


将来を嘱望されたAKB48の研究生、光宗薫。
AKBから脱退後はモデルとして活動。
AKB在籍時から脱退直後は体調不調が心配されていたが、
最近ではファッションブランドのウェブサイトなどにモデルとして登場し、元気な姿を見せている。



そんな光宗が、今度は個展を開催するという。
光宗は絵を描くのが趣味で、独特なタッチの絵をたびたび発表していた。
Twitterのプロフィールにも「ボールペンで絵を描くのが好きです。今年中に個展します」と記載しており、
「絵を描く時間がどうしても自分で作りきれないので、来月から木曜日は予定を入れずに家から出ない決まりを作ろうと思う。
今年の一番の目標は個展なのだ後回しにしたらいけない」と個展開催に向けて作品作りに励んでいたようだ。

Twitterでの発表によれば、個展は10月11日~20日の期間で、
大阪・中央区のgalaxy galleryで開催するとのこと。
個展タイトルなどの詳細は追って発表するとのことだ。

「個展するって決めてから絵描いてても楽しい。それまでは時間を潰す為だったし、
誰かに見せる予定も無かったからなんか本当に良かったと思う。
とりあえず頑張るので自分をぼんやりとでも知ってる方には来てほしい」と、呼びかけている。
モデルとして再スタートを切った光宗だが、今後は画家としても活動するのか、今後が注目される。

AKB48は宝箱。直近では、「前田敦子」
今後、映画女優として花開いてゆくだろう。

集団の中に居てはいけない。
いくら人気があっても、それは集団にたいしての人気。
わたしに対してではない。

わたしに注目してほしい。
わたしを見てほしい。

わたしは女優になる。

子供の頃、夢に見た女優業。
今、手の届くところにある。

わたしは、それに、飛び乗った。

光宗薫は、AKB48の研究生だったと言うから、劇場に出ていたのだろうか。
体調不良とあるが、欝とか、そんなことだったのだろう。

絵を見たが、ちょっとあぶない人のタッチ。
でも、普通の人には描けない絵。

ジミー大西の例もあるし、これから、たのしみな画家になってほしい。


タグ:絵画 卒業
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